1998/4 No.11 日本都市計画学会 関西支部だより

視点
酒蔵のまち/神戸・灘・酒蔵地域

山本 俊貞 地域問題研究所


全国有数の清酒生産地
 神戸・灘・酒蔵地域とは、神戸市東部から西宮市西部にかけての臨海部に位置する全国有数の清酒生産地、灘五郷のうち、西宮市内の今津郷と西宮郷を除く、東から魚崎郷、御影郷、西郷と呼ばれる神戸市内の3郷を指す。灘に酒造業が成立するのは18世紀前期の享保年間のことである。そして19世紀中期の天保年間には、山田錦に代表される良質な原料米の入手が容易であったこと、江戸積のための樽廻船による輸送体系が確立できたことなどの位置的優位性に加え、宮水の発見や米精白のための六甲山の水車利用、あるいは酒造技術を持った丹波杜氏の確保などから「寒造り」と呼ばれる技術が確立し、それまでの濁酒とは異なる商品性の高い高品質な清酒である「灘の生一本」の生産を可能とした。この結果、幕末には江戸に荷揚げされた酒の6割が灘酒であったといわれる。
 その後、第二次世界大戦の戦災によってこのあたりは大きな被害を受けるが、部分的には焼け残り、木造やレンガ造の古酒蔵が狭い路地をはさんで建ち並ぶ独特の景観を形成していた。これら古酒蔵は、古いものは江戸期から昭和初期に建てられたもので、大架構の瓦葺き屋根をもち焼羽目板や漆喰塗等の壁に小さな四角窓が点在する外観で、ハイカラなイメージの強い神戸のなかで、江戸時代からの伝統を受け継ぐ貴重なまちなみであった。そして阪神・淡路大震災では、大架構の屋根を台風から守るために重い土を載せていたこともあり、約50棟を数えた神戸・灘・酒造地域の古酒蔵のうち、再建可能なものは御影郷の泉勇之助商店前蔵など3棟にすぎないという壊滅的な被害を受けた。
 
震災後のまちなみ形成
 しかし震災から3年以上が経過し、昔日のまちなみ復元を目指した取り組みが随所でなされている。古酒蔵の復元や移築の例もみられる他、とりわけ資料館等の公開施設は古酒蔵を思い起こさせる意匠とされているし、製造蔵でも建物本体や外構にかつてのまちなみに配慮されたものがいくつか建てられはじめており、その事例を以下に紹介する。
 
〔魚崎郷〕
 最寄駅:阪神魚崎駅・住吉駅、六甲ライナー酒蔵の道駅
 いち早く観光蔵として建設された「浜福鶴吟醸工房」の他、「白鶴酒造資料館」は木造蔵の修復とRC蔵の新築がなされたし、「菊正宗酒造参考館」では隣接地で崩壊した酒造記念館の再建が準備されている。また「剣菱酒造」のRC蔵は瓦屋根を載せており、「櫻正宗」は県指定重要文化財であった木造蔵や住宅が壊滅してしまったのは残念であるが、本社蔵は積層近代蔵として新しい酒蔵のあり方を提案している。さらに、復興県営「魚崎南住宅」のように、酒造関連以外の施設にも地域特性に配慮した例がみられる。
 
〔御影郷〕
 最寄駅:阪神御影駅・石屋川駅
 先述の「泉勇之助商店」では江戸期に建設された木造蔵の修復を果たし、「神戸酒心館」や木村酒造の「酒匠館」では公開施設として木造蔵の移築、修復をしている。さらにここでも「剣菱酒造」のRC蔵は古酒蔵を意識した意匠で建設されている。
 
〔西 郷〕
 最寄駅:阪神新在家駅・大石駅
 県指定重要文化財であった「沢の鶴資料館」が平成11年春オープンを目指して再建工事中で、同資料室が開かれている。
 
 このような個々の取り組みの一方で、まちづくりの一環としてのまちなみ修復の活動もなされつつある。西郷では、平成8年6月に「新在家南地区まちづくり協定」が結ばれ、居住・生産環境の向上とともに、建物外層や外構についての配慮など、歴史と水辺を生かした景観形成が目指されている。また、魚崎郷でも現在、地元自治会と酒造業者をはじめとする企業が一緒になって「景観形成市民協定」の締結に向けた検討が続けられている。
 第二次大戦時の罹災から免れた古酒蔵は、昭和40年代頃から四季醸造のできる積層近代蔵へといくつもが建て替えられ、また同時に大阪に近いという条件の良さから、酒蔵の広い敷地はマンションにと転換されてきた。そして酒造業者と新規住民間の軋轢もみられた。しかし、震災によって古酒蔵がほぼ全滅するという事態を目前にし、酒造業者だけでなく地域住民も含め、かつてのまちなみがもっていた価値を真剣に見直しはじめたといえる。



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