2001/1 No.15 日本都市計画学会 関西支部だより

特集
21世紀の都市計画

田原 直樹  姫路工業大学・兵庫県立人と自然の博物館


 これからの時代と問われて、真っ先に脳裏に浮かぶのは、今世紀が「環境に対する運命的選択を迫られる時代」になるという予測めいた予感である。現代の文明、そしてその申し子である都市が地球環境にかけている負荷に思いめぐらせれば、遅かれ早かれ〈環境〉が都市計画のあり方を大きく変えるのは不可避であるように思える。しかし、同時に、なおトレードオフ的思考パターンから離脱できない環境・経済の現状を見るかぎり、今後しばらくの間にドラスティックな進展があるとは思えない。この点に関しては、むしろ予想が外れるのを願うばかりである。さらに、社会システムの複雑化を背景に、本格的な市民社会の到来にともなう意思決定機構の変化の一部として市民参加・参画が進み、対象領域の拡大・ボーダーレス化、その狭間での利害調整的役割の強化など、物的計画という古きよき時代の範を越えて社会的技術への傾斜を強める予感、やがては新しい社会計画体系の一部として収斂する可能性も脳裏をよぎったりするが、もとよりこの問題について語るべき立場にはない。

 この小稿に与えられた任務は展望であって願望ではないことは承知で、いずれにせよ書き手の問題意識から逃れられるはずもなく、むしろ積極的に願望を述べることを許していただきたい。それは、冒頭の環境話の続きで、都市計画が葛藤をも含めてより直接的に自然と向き合うようになることへの期待である。20世紀の「都市と農村」にかわる「都市と自然」という命題についてと言えばよいか。

 まずは、自然を計画変数に組み込む。こう話を継ぐと、次は返す言葉で生態学をはじめとする自然科学的パラダイム、つまりエコロジカル○○について語るつもりだと思われるかもしれない。が、さにあらず。むしろ、いかにエコロジー的思考を脱構築するかを考えている。

 断っておくが、エコロジーがダメだと言いたいわけではない。自然を情緒的にとらえ、無自覚に畏怖あるいは賛美する日本的自然観の愚を、新世紀にまで引きずることはない。しかし、これまで日本の都市に自然を残してきたのは生態学ではなく社寺や塚墓だったことを総括しておく必要を感じる。たしかに、これまではの話だが。

 過去からずっとコミュニティの一員であり、歴史的であるくせに歴史性を定義しようとしてできない。自然とはアイデンティティに近い存在なのではないか。アイデンティティを語るのに自然科学のターミノロジーなどと言わなくても、少なくともエコロジーにもたれかからずに自然を語ることばを見つけたい。皮肉にも、自然を冠した機関に来て、こうした思いが強くなった。オギュスタン・ベルクの言葉を借りれば、「自然の通態」とでも言うのだろうか。

 21世紀の都市計画に話を落とすには言葉があまりにも足りないが、新世紀の初夢として。




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