2001/1 No.15 日本都市計画学会 関西支部だより

特集
公共心と持続可能都市

藤井  聡  京都大学


 21世紀を迎えるにあたって、都市にとって持続可能性が不可欠である事を疑う人はもはやいない。この認識が人々に浸透したのは最近のことかも知れないが、持続可能性の問題は生物が誕生した瞬間時からある。進化の過程の中で持続可能性を逸した生物種はことごとく滅亡し、持続可能性を保持した生物種のみが繁栄を許された。

 一生物種であるヒトが持続可能性を逸した時、ヒトが滅びる。だからこそ、持続可能性を巡る議論が重大な意味を持つ。ところが、持続可能性を巡る議論の多くが、次のような素朴な楽観的期待を前提としている事実を忘れてはならない;「持続可能性は、意図的に獲得しえる」。

 この楽観的期待が正しいか否か、実のところ誰も分からない。残念ながら、今のところ意図的に持続可能性を獲得した生物種は一つとてない。

 この問題を考えるために、Hardinが1968年に雑誌Scienceで論じた「共有地の悲劇」を考えてみよう。

 「ある牧草地を複数の羊飼いが共有していると考えよう。個々の羊飼いは、羊を飼って生活しており、自由に羊の数を決めることができる。ここで、できるだけ利益を大きくしたいと考える合理的な羊飼いを考えよう。彼は羊を増やせばより多くの乳や毛を得るのだからできるだけ羊を増やそうとする。同様に全ての羊飼いが合理的なら、全ての羊飼いはできるだけ羊を増やそうとする。しかし、牧草地が供給する草は限られている。それ故、次の春がくるまでに、全ての羊は死に絶える。そして全ての羊飼いは生きる糧を全て失う。」

 つまり、限られた資源の下では、全ての人々が十分に利己的かつ合理的なら、持続可能性は失われるのである。

 この共有地の悲劇で、羊飼い達が「意図的に持続可能性を獲得し得るか」を考えてみよう。彼らが意図的に羊の数を抑制した場合、人間の多様性のために、大きく抑制する人も小さく抑制する人もいることになろう。小さく抑制した人は、より多くの羊を飼い、より多くの富を得るが、大きく抑制した人は、より少ない羊を飼い、より少ない富を得る。そうすると、大きく抑制した協力的な人は共有地から次第に駆逐されていき、残るのは抑制意図の小さい合理的で利己的な人ばかりとなる。そして、結局は共有地の悲劇が生じ、全ての羊と羊飼いは滅 びる。システム科学者の市川(2000)は、この悲劇をダーウィンジレンマと呼称し、個々の主体の持続可能性のための行動意図は本質的な問題解決を導かない事を指摘している。

 詳しく解説するまでもなく、21世紀を迎える我々は限りある牧草地の羊飼いである。そして、20世紀を席巻した自由主義、経済主義は我々に多くの富を与えた一方で、我々の耳元で、より利己的に、そして、より合理的になるべし、とささやき続けてきた。

 我々羊飼いは、どのようにしてこの限りある牧草地を共有し、持続可能性を確保し、滅亡を回避することができるだろう。牧草地が限りある以上、答えは一つしかない。「不満の平等化」である。

 先のダーウィンジレンマは、羊数の抑制に個人間のばらつきがあるために生じた。もし、その抑制が平等になされるなら、特定の非協力的な羊飼いのみが生き残る事態を回避し、全ての羊飼いが生き残ることができる。確かに、合理的な羊飼いにとっては、羊数を抑制することは不満であろうが、全ての羊飼いが平等に皆不満を我慢しているなら、その不満を我慢できるかも知れない。

 社会には多様な人間が生きている。その多様性にも関わらず、不満が平等となるような状況を創出するためには、広義の行動規範が不可欠である。広義の規範とは、法律や税制だけでなく成文化されていない日常的な種々の社会規範を含む。つまり、羊飼いの数に関する様々なルールが存在して初めて、羊飼い達の不満が平等化され、かの共有地は持続可能性を確保することができる。

 ここで、我々の都市生活に目を向けてみよう。我々の都市生活には様々な行動規範がある。卑近な例で言うなら、レストランで騒いではいけないとか窃盗はいけない、等である。もし仮に無制限に勝手気ままな自由を希求する人を想定した場合、これらの行動規範は不満を生み出すものでしかない。しかし、その行動規範に全員が平等に従うからこそ、我々は安全で快適な生活を送り続けることができる。それと同様に、我々の都市が持続可能であるためには、自動車による自由を無制限に希求するのではなく、都市生活者が全員平等に、徒歩や公共交通機関を基本としたライフスタイルを続けることが必要である。そのライフスタイルこそが、都市生活者の行動規範、つまり、生活のルールである。その行動規範をサポートするためには、適切な法制度、税制度、そして都市構造が必要であろう。しかしそれ以上に、人々が公共心を持つ事が必要である(藤井、2000)。かの共有地で悲劇が訪れた本質的原因は、羊飼い達が公共的な意識を忘れさり、過度に合理的で利己的に振る舞ったがためであった。我々の都市に共有地の悲劇が訪れない為には、我々は自由主義、経済主義の「ささやき」を乗り越え、公共心を忘れるわけにはいかないのである。

 都市生活者が無制限な自由と権利の欲望を公共心によって抑制し、限られた土地に効率よく住み、歩ける範囲で用事を済ませ、多少のバスの待ち時間は我慢し、そして、エアコンの使いすぎを避ける、という不満の平等化を達成するなら、我々人類は地球上に存在した生物種の中で初めて「意図的」に持続可能性を獲得した種となれるかも知れない。我々は今まさに、意図的な持続可能性の確保に向けた生物史上初めての壮大な実験の最中にいるのである。

  • 藤井 聡: TDM と社会ジレンマ:交通問題解消における公共心の役割,土木学会論文集,印刷中,2001.
  • Hardin,G.:The tragedy of the commons.Science,162.1243-1248,1968.
  • 市川惇信:暴走する科学技術文明,岩波書店,2000



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