2002/1 No.16 日本都市計画学会 関西支部だより

特集
地蔵と都市災害

森栗 茂一  神戸まちづくり研究所/大阪外国語大学


関西都市と地蔵
 関西の街角には地蔵が多い。地蔵は地主仏である。新たに土地を占有した都市では、必要な信仰である。
 京阪神では路地ごとに地蔵の祠があった。高度経済成長期、神戸市長田区では木賃長屋が密集し、1ブロック(約1ha)に200−300人の子ども、20の地蔵があったといわれる(未確認)。地蔵は「子どもの守り神」といわれ、8月24日が命日である。その前日(宵宮)、各路地住民がそこで生まれた子どもの名前を書いた提灯に明かりをともし、バラ寿司を共同で作って供えた。日が落ちると、御詠歌と叩鉦が流れるなか、子どもが地蔵さんの供物(菓子)のお下がりを求めて、一番中、赤い卍の提灯を巡る。
 こうした京阪神の地蔵盆はどのように成立し、現在、どう変化しようとしているか。

地蔵の起源
 地蔵は「地」の菩薩であった。ところが、平安末期、末法思想のなか地蔵はあの世とこの世の境界で衆生を助ける菩薩として信仰された。あの世とこの世の境界にある不安定な子どもの魂は、「子守地蔵」によって守られると理解された。
 応仁の乱後、都の再生、条坊街路内部が宅地化され路地ごとに地蔵が置かれた。とくに長屋では共同便所・共同井戸であり、体力のない子どもの病死が後をたたなかった。狭い長屋での共同生活では、子どもの死を契機に地蔵が共同での供養のために祀られた。次第に、亡き子の供養の地蔵が、子ども守護、町内安全の地蔵となった。地蔵祭祀は京都に始まり大坂にひろまり近代都市神戸にまで拡大した。

共同の地蔵から個人の地蔵へ
 ただし神戸の地蔵はいささか事情が異なる。
 昭和初期、関東大震災後、神戸は日本の重工業の中心となり、瀬戸内や朝鮮、奄美から多くの労働力を集め日本第三の人口を誇った。労働者のために低廉かつ簡易な住宅、長屋(木賃住宅)が、市街周縁の長田、葺合に大量にできた。
 ところが上下水道が未整備で衛生環境が悪かった。また最低層労働者の子弟は栄養不足であり、乳児・幼児の死亡率は高かった。
 狭い路地に面した長屋の共同生活では、出身地・民族・言葉の異なる人々が暮らし、新たな命の誕生をともに喜んだ。それだけに乳児・幼児の死亡は共同の悲しみであった。こうしたなか路地の奥、共同井戸の横に地蔵を祀り、大家もそれを認めてきた。
 従って神戸市長田区でも山手の住宅地区に地蔵は少ない。住工混在の長屋の路地に偏在した。一方、戦後、神戸市に編入された東灘区でも、近世の一石五輪塔や明治に廃仏毀釈された石仏残滓が、新たな宅地開発で掘り起こされ地蔵として祭祀された。
 これらの地蔵には、「須磨寺からいただいた」とか「立江地蔵」と呼ばれるものが多い。真言宗の須磨寺は、近代神戸における四国八十八箇所巡礼布教の一つの拠点であった。八十八箇所のなかでも徳島県の立江寺の信仰が強い。神戸の地蔵は京阪とは違い、多分に四国の色合いが濃い。四国に由来する地蔵を囲んで、奄美の蛇皮線が爪弾かれ、朝鮮の太鼓が叩かれることもあった。共生せざるを得ない貧しさの中に、互いを認める暮らしがあった。神戸のエスニシティーは、大都市大阪のように対立的ではなく、子どもの命を通じた「そこはかとない共生」にたっており、それを路地の地蔵が包み込んでいた。
 こうした暮らしが変化したのは高度経済成長末期、70年代少し前であった。市街地は公害による急激な環境悪化で苦しみ、長屋で育った子どもは郊外住宅に移った。神戸市西部の大規模住宅団地が開発され出したのはこの頃である。
 一方、長屋の女性たちもマッチのラベル貼りや靴の底貼りといった自宅での内職を失いパート勤めに出た。こうして長屋の地蔵は高齢者の「思い出」によって管理される、残存となった。行政は、これを「密集市街地における高齢者問題」と呼ぶ。

水害・戦災・震災と地蔵
 震災はこの密集市街地と高齢者を襲った。そこで私たちが学んだのは、自らの住宅が全壊しているのに「地蔵さんのおかげで助かった」といいつつ、地蔵を抱えて郊外仮設住宅に移る人や、その地蔵を仮設住宅の仲間で祀ろうとする人々の姿であった。
 さらには慰霊のためとして復興住宅に地蔵を祭祀したり、土地区画整理事業のポケットパークや共同再建住宅の空地、商業再開発の広場に地蔵を置こうとする人々の姿である。
 これらの地蔵像のなかには、1938年の神戸大水害で流れ着いた地蔵や、1945年の神戸大空襲で焼けて真っ黒になった地蔵がある。1995年の阪神大震災で被災して首が取れても住民がボンドで引っ付けて焼け跡で祀ってきた地蔵もある。
 都市とは、自給できず、疫病飢饉、戦災、震災、火災といった災害の危険を覚悟して暮らす場なのか。その覚悟があれば、連帯の模索は必須である。戦後50年の日本の都市は、それを忘れていた。地蔵を祭祀しようとする人々は、都市の暮らしの連帯の意味を問うているのである。



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